「ユカリのYears Of The DRAGON」完全ドキュメント!

過日、大盛況のうちに幕を降ろした「ユカリのYears Of The DRAGON」。
今回は特別編として、大西ユカリ本人による、1年間にわたる当日までの軌跡と
当日の思いを「ユカリのYears Of The DRAGON」完全ドキュメントとして紹介します。


2024年4月6日
忘れられない記念になりました。

これに向かうキッカケは2022年12月27日のS.O.Ra.でした。
なんばハッチの管理とS.O.Ra.は管理事務所が同じで
ライブの終わりに勢い余って
「やってまおか?!」ってなったのが始まりです。

2023年の4月が目前でしたので「ムリムリ〜」って。。
いやいや、ちゃうやんか。
2024年の4月やがな!
なんばハッチともなると1年前でも空いてない時もあります。
全てが揃い、楽屋環境も良いなんばハッチは私には夢のようです。

来ていただきたいゲスト、小林バンド、新世界&ゴーキャッツと
皆さんにお声がけするところからスタートして
2023年が始まりました。
この年の誕生日は実家でさんちゃんと過ごしました。
四葉のクローバー、五つ葉も大漁で独り占めしたらアカン!
近しい方にもらっていただいたりしながらエエ誕生日。。

同じ時期、「LaiLa」制作の話が始まってたので
2024年の還暦に向かうような曲も欲しいです!と
岩川浩二さんにオーダー。
「Nobody can change my world」がそれです。
同時に岩川浩二さん、Yama-Chang(コンガ)にも
剣さん、新宮にもオファー、山崎廣明さんにも。。
そして木村充揮さんは外せない。
まだまだ手探りでしたがイメージだけの1年でした。

やがて「LaiLa」も無事に発売。
猛烈なプロモーションを始めました。
昨今はライブも録音物の販売も作ったとて
なかなかプロモにはつながりませんので自力です。
とにかく自力。レコード会社の人は
「今はCD売れませんのでねえ」とぬかしはった。笑。
ラジオは大好きやから、とにかく一生懸命あちこちに
お声がけをしながら関西は勿論のこと
高田先生からのタブレット純さん(センセありがとう)
1年待ちで六角精児さんと、「LaiLa」が良い作品だったので
皆さんに好評を頂いたのも事実です。(こーじ君ありがとう)

2023年も年末になると、
2024年4月の宣伝素材が要ります。
4月ということは
2月くらいの発売やから
宣伝の素材確認を含め2023年内には準備を急がねばなりません。

なんばハッチといえば、椅子を出して端っことか後を端折って
2階席にはギョーカイの人とか一族郎党で埋めて
なんとか形になるように、で、やっぱり手売りも考えよう!と
そんなふうに思ってました。
母校へ行って還暦割引しようかなあ。とかね思ってた。

不公平にならないように間引きしながらの席を
「ドラゴン抽選会」と称して前売り会も開催。
たくさん預かってくれる皆んも居て助かり、これはすごい。
預かっていただいたおけげで200枚も売れてしまった。
同級生も集ってくれる。
新旧ファンの皆さんからも次々とチケットを頼まれるも
もう私の手元には手売り分も無くなってしまった。
でもまだまだ500枚以上は販売しないと!なのだった。

チケットが余ったらあかんから、行商!カツアゲ!とばかりに
「ドラゴンへの道」ブッキング
小林バンドも新世界も一体何のことかわからんけど
私の要請に応えてくださるのでした。
なんでも歌えるように古賀くんのスケジュールを先に貰った。
そこへ皆さんのスケジュールでできたのが「ドラゴンへの道」

年明けから本格的に選曲、構成を構築していきました。
自分の歴史やから膨大な映像や写真から選んでいくという作業
でもキョービはデータやねんな。
もうビデオからの掘り起こしが不可能な世の中です。
お金あったらダビングもできたけど、ムリやから
パソコン画面に出てくる映像をiPhoneで録画して
それをデータにするという荒技を選択しました。

写真は024マモル倶楽部から拝借して選びましたが
今になって、まだまだ出せたなあ、と反省。。

年末からほとんど実家でさんちゃんとの生活で
自分本位には動けなかったからこれももっともっと
早くにやり始めるんやったなあ、ともっと反省。。

選曲したらそれを演奏してもらうためにキーや寸法も
決めないといけない。演奏の風情も決めないといけない。

無駄に選んだら二度手間やから慎重に進めました。
決めた以上は要求もいろいろです。
せっかくの2バンド揃い踏みやしね。
なんとか全員で出れたら転換要らんよなあ。。
歴史も感じてもらいたいしなあ。
それにはリハーサルも要ります。
リハーサルするとお金もかかるから「ドラゴンへの道」
合体策が生まれました。

2バンドの衣装も決めないと、でした。
久しぶりのボスや三好さん小松くんの靴も要る。
ゴーキャッツの衣装も要る。
特にゴーキャッツの振り付けには構成を先に決めないと
さあ、ここから私は挟み撃ちにあうワケや。笑。

ゲストさん達とやりたいことは大体決まってましたが
剣さんと歌いたい曲が一致するとは思わなんだ。
済州エアポート、男と女がそうでした。
シンデレラリバティーは新宮の提案で
こんなに揃うんだから、と。。
で、まさかのトニー萩野さんがギター弾いてくれることにより
山崎廣明さんのベースでの参加が決まったの。あら、クールス!
で、岩川浩二さんもギターで参加。。
私は気楽に新宮やYama-Changとコーラスです。

山崎廣明さんは10代の時分から
その頃の、自分に言うてやりたい
あんた、山ちゃんとステージに立てるときが来るからがんばりや!ってねー

山崎廣明さんにはどうしてもピアノを弾いて欲しかったです。
やりたい曲のキーも変え、
メドレーにしてしまった。
快く、それでも練習して臨んで下さった。山崎さん!と呼ぶところ
私はずーっと山ちゃんと呼ぶ。
この人がいなかったら、剣さんにも
出会えてたかどうか、わかれへん。

衣装もね。
ジャケット替えたらズボンも替えはる。
👞も履き替えはる。
長らく見習ってきたところです。

2月の先行発売からの3月。。
えっ。。売り切れた?そんなアホな。。

私の目論見をよそに、チケットは完売してしまったのだ。
端折った席を戻したりキャンセル待ちしていただいたり
挙句は立ち見券やて、奥さん。
一族郎党呼ぶ余裕も無くなってしまったけど
お母ちゃんと妹には見てもらいたかった。
会場には新宮の姉夫婦も来てくれてたので
親族顔合わせも叶ってしまった。やったー!

話戻しますよ。
打ち合わせも積んで、通達もして
私の頭のなかのことは全部吐き出した。
でもそれでも確認は当日まで続いてました。

近まってくるとゲストさんの予定も
バンドの予定も
前日のリハーサルから
当日の搬入へ
曲による楽器の調達も色々と
楽器の担当さんとも打ち合わさねばならぬ。

木村充揮さんは最初から決めていた 
一番兄さんゲストです。
天王寺やし、アコースティックやし

そこへ岩川浩二さんに加わって
もらおうと決心したのは夏頃かな

岩川浩二さんとのセッションも
場面は一気に
「なにわブルースフェスティバル」

岩川浩二さんのお兄さんは
生粋の木村充揮さんファンらしく
小さい頃から慣れ親しんだ
木村充揮さんとの共演に喜びつつ
当日に「一緒にもっとやろや、コージ!」
これにもグッときた場面でした。

座りで!というのも打ち合わせの中で
浮上した最善案!
木村充揮さんの凄さは言わずと知れず
本番当日、タイガー&ドラゴンで
途中からではなく
最初から!
しかも歌いながら!と提案しました

元々、木村充揮さんにタイガーを
歌っていただく提案に剣さん大喜び
そこへ最初から!となると
何故か私もテンション上がりまくり

2人で歌い出すところに
木村充揮さん登場でわーっと!

これがまた
必要以上に自然に決まるのでした

あれよあれよで3月も末。。
え?グッズができてへん。あちゃー。。
もう時間ないやん。
10日前に迫った3月26日から
あの記念Tシャツができていくのでした。
ゲスト全員から許可もらってデザインから
5往復して出来上がりのTシャツをもらっては
袋詰めして値札つけてました。
さんちゃんの散歩も兼ねて歩いた歩いた。
その最中に歌の練習をして自分の衣装用のバラ制作です。

チケットの当日精算の受付表も
物販の明細もいつも通りに進めました。
ちょっと今までより量は多いだけですからチョチョイのチョイ
とはいえ、運ぶのんはエライコッチャの三度笠や。
トランポスタッフには大変お世話になりました。

ゲストさんの当初のスケジュールでは
当日、日帰りということで
(実際、山崎廣明さんは急遽、日帰りで)
それで16時オープンになったのでした。
せやから時間がナイナイ。
かなりタイトな本番でしたが前日のリハーサルは通したし
当日もゲスト部分は通したし
そのおかげであの照明、舞台、映像しかけができました。

来てくださった皆さんから絶賛の嵐です。
人のいうことは聞きながら
貫くところは貫きました。
ドラゴンへの道がドラゴンの道に変わり、
一歩、また一歩と進んでます。
自分の思いが伝わったとしたら
大成功、ハイセイコー。今日も私はバイセコー。
心から御礼申し上げます。ありがとう。

2024年4月6日 大西ユカリ拝

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